生徒の声

真の英語コミュミティー

真の英語コミュミティー


英語をはじめて何年になるのだろう? 歳をとったな、と自覚する瞬間です。結局英語から離れることなく二十数年(詳しい数字は割愛)、現在は結婚し、東京で塾の英語講師をしながら、翻訳の勉強をしています。と、今でも英語に携わる生活をつづけていられるわけで、ほんとうに幸せなことだと思います。

中学に入り、英語の勉強がはじまった頃、笹丘にできたリトル・アメリカの生徒になりました。これは幸運なことでした。学校での「お勉強」に加え、リトル・アメリカで生の英語を学べたのですから。そこは、わたしにとって、大きな存在感を持つ「小さなアメリカ」でした。不思議なもので、記憶力の良くないわたしが、Helene先生から習った単語やフレーズ、歌などは良く覚えています。教わった時の情景まで思い浮かぶほどです。英語を教わり、一緒にアメリカの歌をうたい、いろいろなパーティーを楽しんではアメリカの文化に触れる、福岡にいながらにして、わたしはアメリカを体験していたのですね。「習うより慣れろ」とは良く言ったもので、ほんとうに自分は恵まれていたと思います。

おかげで、高校へと進み、英語の勉強が文法だの、構文だの、と難しくなってきても、受験英語に悩まされても、英語が嫌いになるということはありませんでした。それどころか、大学では英語を専攻し、留学し、英語に携わる仕事をし……今では、わたしから英語をとったら、何も残らないようにさえ思います。十代はじめに、英語とHelene先生に出会ったおかげで、わたしは今も英語の虜(?)、今も英語とHelene先生から離れることができません!皆さんもいつか、いえ、既にそうなっているのでは!? VIVA!

Haruko Fukui 1993年卒

リトル・アメリカに通い始めたのは高校一年の春。中学時代英語は一番の得意科目だったが、初めのうちは先生が何を言っているのかほとんど理解できなかった。自分の言いたいことすら英語でうまく言えずいつも戸惑っていた。しかし先生達はそんな自分を置き去りにせず、それどころかいつも親切に助けの手を差し伸べてくれた。常に親切で丁寧、それがリトル・アメリカの先生達だと思う。そんな先生達とのクラスをいつも楽しみにしていた。

大学入学と同時にリトル・アメリカでバイトも始めた。一年間という短い期間だったが、ヘリーン先生やスタッフの皆さんたちから色々なことを学ぶことが出来た。スタッフの皆さんの期待に応えることは出来なかったと思うが、自分にとっては本当にいい経験だった。先生達とも学校の外で友達として付き合うことができ、いくつもの楽しい思い出ができた。特に、ジャック・マクナトン先生は自分にとって最高の先生であり、いい友達でもあった。リトル・アメリカの一番いいところは、先生達と生徒達が互いに信頼し合っているところだと思う。

現在自分はアメリカへの留学を目指してオーストラリアで語学の習得に励んでいる。もしリトル・アメリカとの出会いがなかったならば、今とは全く違う道を進んでいただろう。リトル・アメリカは自分にとって、本当に”PASSPORT TO THE WORLD”だった。自分を勇気付けてくれたスタッフの皆さんたち、そして何よりもヘリーン先生と内田壮平先生に心から感謝したい。

Yutaka Mako 1992年卒 現在オーストラリア滞在中

“It’s raining. It’s pouring. The old man is snoring…”とある雨の日、友達の口ずさむ歌。

“I know that song!”と興奮する私を不思議そうに眺める友達。

きっとリトル・アメリカ生なら記憶に残っている人も多いはず。習った当時は意味も分からず歌っていた歌。まさかニューヨークで聞く事があるなんて、そう思うと私はリトル・アメリカで英語だけでなく、アメリカの文化も分けてもらっていたのだなと思いました。

母に連れられて初めてリトル・アメリカを訪れたのは10年前のこと。それからアメリカに発つまで約8年間。思い出も数々あります。意味も分からず歌った英語の歌、頭を悩ませた英語日記。毎週のように友達と練習したグレードテスト。当時一緒に練習した友達の電話番号、今でも憶えています。中でも思い出深いといえば高校生サミット。アメリカの留学生コリーンを中心に当時あったリトルアメリカコーヒーショップで、高校生ばかりで毎週わいわいと楽しく過ごしたのを憶えています。クイズやゲームなどしたり、日常のことから好きな映画の話まで色々と、もちろん全て英語で話し合いました。実際に英語を使うことの出来た良いチャンスでした。

話す・聞くというのは、英語を勉強する上で大切なことだと思います。「これはペンです。」というのを英語で書くことは出来ても、実際の場で言えない人は多いのではないでしょうか。そういう意味でもリトル・アメリカで学んだ英語は大きいように思います。会話中心のレッスンは英語で話す度胸をつけてくれたし、下手な英語を一生懸命聞いてくれた先生方のおかげで話す努力を学びました。

外国に出て色んな人に英語をほめられることも多く、リトル・アメリカに行って良かったなと思う事も多くあります。「小さな事が後で大きくなる。」そう考えて、今リトル・アメリカで学んでいる方々、がんばって下さい。

Miwa Nishio 1990年卒 現在ニューヨーク在住

「バブー、バブー」。赤ちゃんは言葉を知りませんが、母親は赤ちゃんに話しかけます。「お腹空いたねー」。こうして最も身近にいる言葉の指導者である母親の正確な言葉を聞き、成長し、真似を始めます。間違った言葉を使えば母親が修正してくれます。わからない言葉は母親が教えてくれます。活字を追うことも、辞書を引くこともなく、正確な言葉を覚えていきます。こうして皆さんは正確な日本語を体験し、日本語のネイティヴ・スピーカーとなったわけです。

言葉を会得するということは体験することです。皆さんが日本語を『日本語』として体験したのと同じように、英語を会得する際には、日本語というフィルターを通して理解する『英語』ではなく、『English』として体験することが重要です。

私にとってヘリーン先生は『先生』ではなく、間違えれば修正してくれる、わからなければ教えてくれる、褒められたり怒られたり、そしてたわいない話もできる『母親』そのものでした。言葉を覚え始めた赤ちゃんと同じように、聞き、真似をし、自然に『English』を体験することができました。

先生からではなく、母親から『母国語』(=mother tongue)を教えてもらっている感覚でLittle Americaを体験してみてください。習いに通うという感覚ではなく、自宅の玄関ドアを開けるように。“Mom, I’m home!”

Shuichi Sada

私は前々から、日本の英語教育に対して疑問を抱いてきました。私は中学高校と、六年間に渡る英語の教育を受けてきましたが、文法などに重点を置いた授業ばかりで、「聞く」「話す」といったことは殆どありませんでした。今思うと、それは結局入学試験を乗り越えるための「道具」でしかなかったのです。実際に、私は高校時代の全国統一模試の英語では、毎回高得点を取り、常に全国でも上位にランクされていました。しかし、私は全くといって良いほど英語の会話などできなかったのです。これが身をもって体験した「教育」の実情でした。この日本の英語教育の方針を劇的に変えるのは非常に難しいというのが現状です。それゆえに、私たち日本人が本当の英語に触れることができる、このリトルアメリカのような私的な英語教育機関は、非常に貴重な存在であると思います。私はヘリーン先生の授業を大学で受けさせてもらっているのですが、先生の教育理念は実に一貫しており、確固たるものであると実感しました。というのも、先生はウェブサイト上で述べられているとおりに、私たち大学の学生にも教えてくださるからです。先生の授業は、私の通う学校の他のどのスピーキングスキルのクラスとも、明らかに違っています。アルファベットを使ってのウォーミングアップや教室を“英語の世界”にするということへの拘り様、またクラスメイトと英語でこれほど長く会話する時間を与えられたのは初めてでした。私は、リトルアメリカの子供たちは、小さいうちからこのようなやり方で英語を学べて、実に幸運だと思います。

また、LATEMについても、非常に感銘を受けました。この活動は確実に現代日本の英語教育に変化をもたらすきっかけとなるでしょう。現在の受験戦争の白熱振りからして、学校の教師の方々が生徒を勝ち抜かせるために、不本意にも味気のない受験英語を教えなければならないというのは十分にわかります。しかし、もしもその先生方がLATEMの持つ教育法や教育理念を少しでも取り入れることができたなら、生徒たちに英語を学ぶ楽しさ、そして英語を学ぶことは、受験を勝ち抜くために仕方なくやることではなく、世界に生きる多くの人々とのコミュニケーションを可能にする素晴らしい方法なのだということを伝えることができると思います。

Hiromitsu Aoyagi